母は急性大腸癌でした。
母について4回に渡って書いています。
“母の大腸癌でゼニスオメガヒーリングをして「すごい!」こと。/First/“はこちらをご覧ください。
“母の大腸癌にゼニスオメガヒーリング/Second/“はこちらをご覧ください。
“母の大腸癌にゼニスオメガヒーリング/Third/”はこちらをご覧ください。
2019年4月4日に施設から出発の日の朝、お母さんにお別れを言いにお世話になったスタッフの方々が来てくれました。お休みの方も来てくださって母の髪をとかし、綺麗にしてくれました。母を人として看てくれたことがとっても嬉しかったです。母は「けいこちゃん!」とみんなから呼ばれてアイドル的存在でした。スタッフの方と母の別れを見て涙がでてきました。
スタッフのみなさん、ありがとうございました。
病院へ移り、個室に入りました。病院特有の嫌な臭いはしなくてとても綺麗でした。静かなので良かったです。部屋が寂しいので施設のスタッフと撮った写真を大きく引き伸ばして部屋に飾りました。もちろん、母の見える位置に母と父の写真も飾りました。
医師からは、
本人が欲していれば、食べさせても大丈夫です。ジュースとかプリンとかいいですよ。
点滴を止めているので口からは家族が口に入れるものだけになりました。
始めは、プリンや茶わん蒸しなど食べました。後半はジュースをストローで吸って少しずつ流しいれました。
癌のところを触るとほんの少し痛むようなので1番弱い痛み止めの麻薬の張り薬から始めました。顔は穏やかで痛みなど感じられないほどに普通に会話をしました。声も大きく出ていて元気でした。
麻薬を使ってからも状態は横ばいでした。1週間ぐらいしてから、痛みがまったくありませんでした。癌のところを触るときだけ痛みがありました。少し強い薬に変えました。
母に会いに毎日病院に足を運びました。癌の進行が早く感じてゼニスオメガヒーリングを1日2回施術していました。
ゼニスオメガヒーリングをしているからかとても元気でした。最後の方は微熱があり体から水分が少なくなっているのを感じました。エネルギーは流れているので生きているのかもしれないと気がつきました。癌のシートと、生へのエネルギーの増幅のシートも施術していました。
母はもう十分に生きたからそれらのシートは止めて、次の次元に行けるようなシートだけに変更しました。
翌日は嘔吐して急に血圧が低下して不安定になりました。
夕方は目線が安定せずに小刻みに震えていました。おそらく母はここにあらずで、体を抜けてどこかへ行っているようでした。
家族が母に会いにきました。
医師が「今日は帰ってもらって何かあればすぐに電話します。万が一、会えなくてもみなさんが良く看ていたのでお母さんも十分に判っていると思いますよ。」と言われ帰宅しました。
23時頃連絡が入り、家族に連絡して病院に行きました。母はもう他界していました。
母の顔が安らかな顔でそして美しかったです。
母に会いにも行ったし、ヒーリングもしたし、悔いはありませんでした。やり切った感じがありました。
医師がとっても素晴らしい方でした。病院のスタッフの方々も本当に感謝です。
母は施設の方々、医師、病院のスタッフの方々の素晴らしい人を引き寄せたのは間違いなく母自身です。
癌や病気についての癒しは
ゼニスオメガヒーリングをご覧ください。
ホームページは
こちらからご覧ください。